岡山県倉敷の太鼓!和太鼓風人の活動日記
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好きなことをして人に感動を与えることができるのは、本当に幸せだ、というよりはラッキーだ、と感じる。
太鼓を打っていて、「感動しました」「元気でました」「ありがとうございました」と声をかけられますが、反対にそういう言葉をかけてもらえる私の方が元気をもらい、励みになり、また頑張ろう!!って、前に進む力をもらっている気がします。
今までに、何度も、できない自分自身に苛立ちを感じてきました。「なんでこんなことができないんだ!」って。技術面でも精神面でも…。
もちろんそう思うときは、今でもあります。
情けなくなり、何度も何度も「もぅやめよう」と思うし、毎日がその繰り返しです。
そこで自分に問う。
「なぜ私は太鼓を打つ?」
そんなに辛いのなら、辞めればえーが。どうせ趣味じゃが。何度も自分に言う。
でもまた自分に問いかける。
「そこまでして、どうして太鼓を打つ?」
…時に人は、楽な道へ行きたくなる。
確かに私は何度か楽な道を選んだことがある。
でも、そこから生まれるものは虚しさと後悔だけだった。心がなんにも満たされなかった。
ただ太鼓を打っているだけの自分がいるだけ…。
私の母の教え。
「反省はしても後悔はするな」
努力なくして人様に感動は与えられない。
たとえ今が辛くても、先が見えなくても、もう逃げたくはない。
頑張って踏ん張っていれば、きっと何か見つけることができるはず…。
夢があるからこそ頑張れる。
目標があるからこそ努力できる。
私には応援してくれる人がいる。
一人じゃない。
その人たちのために、私に何ができるだろう?
太鼓を打つしかない。
その人たちからもらった勇気と元気と温かさを恩返しするために、私は太鼓を打つ。
それが「あゆみの太鼓みち」。
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太鼓を打っていて、「感動しました」「元気でました」「ありがとうございました」と声をかけられますが、反対にそういう言葉をかけてもらえる私の方が元気をもらい、励みになり、また頑張ろう!!って、前に進む力をもらっている気がします。
今までに、何度も、できない自分自身に苛立ちを感じてきました。「なんでこんなことができないんだ!」って。技術面でも精神面でも…。
もちろんそう思うときは、今でもあります。
情けなくなり、何度も何度も「もぅやめよう」と思うし、毎日がその繰り返しです。
そこで自分に問う。
「なぜ私は太鼓を打つ?」
そんなに辛いのなら、辞めればえーが。どうせ趣味じゃが。何度も自分に言う。
でもまた自分に問いかける。
「そこまでして、どうして太鼓を打つ?」
…時に人は、楽な道へ行きたくなる。
確かに私は何度か楽な道を選んだことがある。
でも、そこから生まれるものは虚しさと後悔だけだった。心がなんにも満たされなかった。
ただ太鼓を打っているだけの自分がいるだけ…。
私の母の教え。
「反省はしても後悔はするな」
努力なくして人様に感動は与えられない。
たとえ今が辛くても、先が見えなくても、もう逃げたくはない。
頑張って踏ん張っていれば、きっと何か見つけることができるはず…。
夢があるからこそ頑張れる。
目標があるからこそ努力できる。
私には応援してくれる人がいる。
一人じゃない。
その人たちのために、私に何ができるだろう?
太鼓を打つしかない。
その人たちからもらった勇気と元気と温かさを恩返しするために、私は太鼓を打つ。
それが「あゆみの太鼓みち」。
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イ草の太鼓たち…
ほんとに“あゆみの太鼓道”にはいつも勉強させらる。
けど、求めるところは同じだけど、私の観点は少し違ってるのかもしれない…
イ草の太鼓たち…
何百年も生きてきたこの太鼓たちには魂が宿っている。
その魂は打ち手とばちによって奏でられるのをいつも待っているんだよ!
叩けば出てくるのは音、音、音…
でも、心を込めた太鼓職人さんの技と打ち手の壱打を受けたとき、彼らは魂の言葉を発する…
それは、打つ者、聞く者の心を揺さぶり、心に響く…
先輩と呼ぶにはあまりにも長い時間を生きてきた太鼓たち。
彼らが発するもの、それは音ではなく“言霊”
だから、和太鼓は人を感動させるんじゃないかな?
私は今日も“言霊”を求めて太鼓を打つ!
そのために頑張る!もがく!苦しむ!悩む!
納得のいく壱打を求めて!
初心者の戯言だけど、私はそれを信じて…
イ草の太鼓たち、今日もいい言葉をありがとう!
“西方より”はイ草の二尺八寸の曲。
大分の山奥ではるか四百年の時を過ごし、このイ草にやってきた。彼に敬意を表する私の気持ち…
はるか西方より、イ草に幸せを運んで来てくれた彼だけの曲。だから、他の太鼓では打てない曲!
そう信じて…
私が風人の皆さんに太鼓を使ってほしい訳…
あなたたちは“言霊”を引き出す術を知っているから…
けど、求めるところは同じだけど、私の観点は少し違ってるのかもしれない…
イ草の太鼓たち…
何百年も生きてきたこの太鼓たちには魂が宿っている。
その魂は打ち手とばちによって奏でられるのをいつも待っているんだよ!
叩けば出てくるのは音、音、音…
でも、心を込めた太鼓職人さんの技と打ち手の壱打を受けたとき、彼らは魂の言葉を発する…
それは、打つ者、聞く者の心を揺さぶり、心に響く…
先輩と呼ぶにはあまりにも長い時間を生きてきた太鼓たち。
彼らが発するもの、それは音ではなく“言霊”
だから、和太鼓は人を感動させるんじゃないかな?
私は今日も“言霊”を求めて太鼓を打つ!
そのために頑張る!もがく!苦しむ!悩む!
納得のいく壱打を求めて!
初心者の戯言だけど、私はそれを信じて…
イ草の太鼓たち、今日もいい言葉をありがとう!
“西方より”はイ草の二尺八寸の曲。
大分の山奥ではるか四百年の時を過ごし、このイ草にやってきた。彼に敬意を表する私の気持ち…
はるか西方より、イ草に幸せを運んで来てくれた彼だけの曲。だから、他の太鼓では打てない曲!
そう信じて…
私が風人の皆さんに太鼓を使ってほしい訳…
あなたたちは“言霊”を引き出す術を知っているから…